Too城本 一正

 「…つくづく俺は、“便利な人”としか見られていないんだな…。」
そうぼんやりと、一条清矢(いちじょうせいや)は物思いに耽っていた。
畳敷きの部屋の縁側の柱によりかかって外を眺めている。
「ねえ一条君ここの問題教えて。」
問題集とノート、それにペンケースをかかえて、一条にとって何回目かになるかわからないその言葉を口にしながら一人の少女が近寄ってきた。
 「え? ああ、いいですよ。」
清矢は一瞬ふいを突かれて驚いたが、すぐにその子にレクチャーを始めた。

清矢は、小学校から大学までの一貫教育で有名なせいおうがくいん青桜学院に中学から入学し、今は高校一年。昔から勉学の才能には恵まれていたらしく、学校の中でも成績は割合上位の方にいた。そんな彼は、あまり自ら積極的に友人というものを作らなかったが、隣の人などによく勉強を教えていた。それがいつしか評判になり、顔は見たことあるが名前が出てこない人、ついには顔さえ見たことがないような人まで質問が来るようなことになった。ちなみに今、彼が教えている女の子はどちらでもなく、ちゃんと顔も名前も覚えていて、かつ、清矢が密かに恋心を抱いている、藤波亜希(ふじなみあき)だったりする。

彼女は小学校から学院に通っている。彼女の家は昔からこの土地を領土として栄えていた名家で、なんでもこれから三代先まで遊んでくらせるくらいの財力を持っているそうだ。そんな彼女の家は日本家屋の大豪邸。今日はクラス三十人ほどで「夏休みの宿題を終わらせよう勉強会」という名目で来ているのである。

清矢は慣れた口調で、亜希にレクチャーをした。
 「…そうですね。この単語はこんな意味で、不定詞がこうつながって…。」
二十分ほど経ったであろうか。結局彼女の英語の宿題を、八割方解いてしまった。
 「わあ、ありがとう! すごいわかりやすかった!」
 「どういたしまして。」
とびっきりの笑顔でお礼を言って席へ帰っていく亜希を見て、清矢はさっきと同じ考えに至って、力の無い溜息をついた。
「あの子にとっても、俺はやっぱり“便利な人”なんだろうな。
いつからだろう、普通の会話が極端に減ったのは。
この学校に入って、普通の会話って成り立ったことがあっただろうか。」
清矢の答えはノーだった。始めこそ、「家はどこにあるの?」とか、「部活は?」といった、他愛もない話題があったが、夏休みにもなるとそんなこと皆知っているし、今さら話したって、広がらないことは明らかだ。最近の流行に疎い彼にとって、周囲の話題についていくのは無理な話である。

 「どうしたよ? 妙に黄昏れちゃって。まだ三時だ。日は高いぞ。」
清矢が振り返るとそこには、清矢の数少ない友人、さわざき沢崎いっぺい一平がいた。
 「まあいろいろとね…。それよりお前、外出なかったのか?」
 「プールもコートも人で一杯だから帰ってきたの。
  みんな、いくらなんでも外行きすぎだろ、まったく。」
一平は溜息をついた。清矢がクスリと笑うと一平はちょっとムッとなった。
 「なんだよ。」
 「ゴメン。」
清矢はすぐに真顔にした。
 「それで、さっきは何考えてたんだよ。」
一平が真剣に訊いてきた。
 「なに、どうでもいいことさ。」
そう清矢は言った。あまり大っぴらに言えることではない。
 「そうか…。ならいいけど。」
余計な詮索をしないでいてくれるのが彼のいいところだ。
 「さて、少しでも終わらせとかないとお袋に何言われるかわからないからやるか。」
一平が立ち上がる。
 「珍しいな、お前が自分からそう言うの。」
清矢がちゃかす。
 「何だよ。つべこべ言ってないでさっさと教えろよ。」
 「はいはい。わかりましたよ。教材持って来な。」
 「いや、お前が来い。」
そう言って一平は清矢の腕をつかみ、ぐいと部屋の奥へ引っ張っていくのであった。

夕食は大広間で、盛大な宴会のようだった。みんな大いに食べ、飲み(もちろん酒ではない)、歌い、さわいでいた。そんな中、清矢は一平に近寄り、隣に腰を下ろした。
 「やれやれ、みんな元気だねぇ。」
清矢が皮肉っぽく言う。
 「同感だ。環境が整いすぎるのも考えものだよな。」
一平が返すと、二人は笑った。その後、清矢が話を切り出した。
 「なぁ、昼間のことなんだけど。」
 「ああ、いつになくヘコんでるように見えたけど。」
 「うん…。なんか…。みんなにとって俺はどんな存在なんだろうって、考えてたんだよ。」
 「…またすごいこと考えるよな。で、その顔見る限りじゃ、いい答えでもないんだろう。」
 「よくおわかりで。…そうなんだよね。出た結論が“便利な人”みたいな。」
 「“便利な人”…。」
 「お前、俺が他の人と話してるとき、勉強教えてるところ以外見たことって、あるか?」
 「そういや、ほとんどないなあ。」
 「だろ? 俺この学校入ってまともな話ができたのって、お前くらいしかいなくてさ。みんなにちゃんと“クラスメイト”として認知されてるのか不安でさ…。」
話を終えると、一平は何か考えてるポーズをとった。そして口を開いた。
 「人間何が不幸の種になるかわからないな…。」
 「……?」
清矢はその対象が自分じゃないことを空気で読んだ。
「お前もそうだし、藤波も…。」
「え、今なんて言った!?」
しかしそのとき、テンションが上がり切った男子たちに一平が連行されてしまった。別れぎわに「また部屋でな。」と言うのが精一杯だった。清矢はまた一人取り残されてしまったが、それよりも一平の最後の言葉が耳について離れなかった。

夕食後は敷地内にある洋館に、二人一組で泊まることになっていた。清矢は一平と同じ部屋だった。部屋に入るなり清矢は一平に詰め寄った。
 「教えてくれ、さっきの話の続き。藤波が、どうなんだよ!?」
 「おいおいそんなに怒鳴るなよ、とりあえず声落とせ。」
一平は少し慌てた。
たしかにけっこう隣の部屋の声は響いている。こんな大声で話したら隣に筒抜けだ。幸い隣はそれ以上にドンチャン騒ぎだったようで、今の声は聞こえていないようだ。
 「ごめん。」
清矢は謝った。
 「まあ、無理もないか。相手がお前さんだと。」
一平は、清矢が亜希に恋心を抱いていることを知っている唯一の人物である。
 「いいから早く。」
清矢がもどかしそうに急かす。
 「まあまあ、今から話してやるから落ち着け。」
一平は清矢をなだめ、話を始めた。

前に触れたように、亜希は日本の伝統的な富豪の家に生まれた。つまり「ご令嬢」である。こういったお嬢様が取る(一般的に考えられてる、の方が正しいかもしれないが)成長過程は二つに一つ。一つは親や世話人の目を盗み、いたずらなどをくり返すおてんば娘。もう一つは、大人しく、手塩にかけて育てられた箱入り娘。亜希は後者の方に入る。そして、箱入り娘には、ほとんど必ず「病弱」というイメージがついて回るものだ。亜希も例外ではなく、実際、そうだった。亜希はぜん息持ちで、何回となく入退院をくり返していた。実は今、清矢や一平などの面々が泊まっているこの洋館は、亜希が自宅療養時に落ち着いて休めるように、との両親の過保護ぶりから、近くの森を買い取りその中央に建てさせたのである。それほどの親が徒歩十分ほどの距離を、最愛の娘に歩かせるはずがない。毎朝の通学は、車であった。それもかなりの長さのリムジンである。こんな「絵に描いた様なお嬢様」には、「絵に描いたようないじめっ子」がいるのは、もはや必然だった。小四のころからそれは始まった。上ばきの中の画鋲、無視、脅迫状…。そんな子供だましの古典的なことを、と我々は一笑を付すことができるが、「子供」の亜希にとっては、かなりの精神的苦痛である。しかもそれは、未だに未解決のまま六年続いているそうだ。休みがちの亜希が中学入りや高校入りと親しくなるのは、あまり易しいことではない。彼女は今、一人なのだ。

 「そんな…。」
話を聞き終わると、清矢はただ呆然としていた。
 「信じられない…。あいつ、そんな素振りは一度も…。」
清矢は本当にショックだったようだ。
一平が真剣に言った。
 「俺は小学校から今まで、何のめぐり合わせかずっと同じクラスだった。その俺でさえわからなかったんだ。最近になるまで。」
 「お前でも…?」
清矢は少なからず驚いた。一平の情報網をもってしても、最近になるまで気付かなかったそうだ。かなり陰湿な方法だったに違いない。
 「そういえば最近、妙な噂を聞いたんだけどさ…。」
一平が切り出した。
 「…何だよ、それ。」
清矢が訊いた。
 「ああ、この勉強会が、ここでやることになったときの裏事情なんだが…。」
それは七月の中頃、終業式があった日の放課後のことだ。この勉強会をやる場所を決めるとき、まっ先に亜希が自分の家を会場に提供してくれた。普段こういったところでほとんど口をきかない亜希の、突然の発言に皆は一瞬驚いたが、亜希の家が豪邸であることを知っていたので、一目その屋敷を見てみたいと即決したのであった。
 「…。」
清矢は真剣な顔で、続きを待った。
 「俺もさすがになんかあるなと思って、ちょっと情報を集めてみたんだ。…出てきたよ。ちょっとヤバそうな噂。」
 「だから何なんだよ、それ。」
 「あいつ、読書好きなのは知ってるよな。」
 「ああ。」
 「最近読んでた本。ここ数ヶ月にわたって、ある共通点があってな、主人公がみんな何らかの形で死んでるんだよ。」
 「……?」
清矢はそのとき、あまりピンとは来なかった。
そしてその意味を、後で思い知らされるということも。

次の日、厚い雲が空をおおっていった。清矢も昨日のことがあってか、どうも気分が上がってこない。いつもにも増して暗くなっていた。しかし、だからといって皆が訊きに来るのを止めてくれるわけではない。今日は二十人くらいこの畳敷きにいる。清矢は、三分ごとに呼ばれるという、多忙なレクチャーをしていた。そのせいでなかなか亜希のもとへ行くことができずにいた。しばらくしたのち、ようやく亜希のところへ行くことができた清矢だが、昨日の話の真偽を直接亜希に訊くわけにもいかない。ただ黙々と亜希にレクチャーをするばかりであった。
 「ありがとう! あーやっと終わった!」
結局、亜希の英語の宿題を終わらせるまで、清矢は必要最低限のことしか言えなかった。
 「うーん、二日間宿題と格闘したら疲れちゃった、ちょっと外出てくるね。」
そういって、亜希は立ち上がった。
 「え、この天気で!? 大丈夫?」
清矢は心配そうに言った。もう外は雨が降り出している。しかもかなり強い雨だ。
 「大丈夫よ。ここ誰の家だと思ってるのよ。」
 「それは…。じゃあすぐ戻ってきて下さいよ。」
 「…そうね。じゃ。」
亜希は外へと出ていった。そのとき清矢は、何かすごく嫌な予感がした。しかし昼食までの十分は、彼はここを動けない、何しろ彼を呼ぶ声があちこちから聞こえるのだ。彼はしかたなくその声の方へ行き、新たにレクチャーを始めた。

昼食になり、清矢は傘をさし亜希を探しに出かけた。どうやら彼の予感は少しずつ的中の方向にむかっていることを、清矢は感じずにはいられなかった。十分経っても亜希は帰ってこなかったのだ。あんな話を聞いた昨日の今日だから、こんないらぬ心配をするのかもしれないと一瞬考えもしたが、それでもこんなどしゃ降りの中をわざわざ散歩するのは腑に落ちない。そうなるとやはり…。清矢の頭には、最悪のシナリオが浮かんでいた。そして、それだけは避けたいと、彼の歩調は自然と速くなっていった。このだだっ広い藤波家の敷地内を清矢は歩き続けた。いつしか傘もどこかへやってしまった。雨は、どんどん強くなり、清矢の体を滝のように打っていった。

四十分も歩いただろうか。もはや眼鏡は打ちつける雨のせいで、使いものにならなくなったので、かけるのをやめていた。乱視でかなりぼやけた視界でも、清矢は亜希の姿をはっきりととらえた。小高い丘にある藤波家の敷地の端、一歩踏み出せば、下までまっさかさまにおちていく場所だった。清矢の思い浮かんでいた最悪のシナリオは、今まさに現実になろうとしていた。清矢は全速力で駆けていった。そして、死力を尽くして叫んだ。
 「藤波!!」
しかし、その声はこの滝のような雨によって、かき消されていた。清矢は必死に駆けた。彼の目には涙があふれていた。ただでさえぼんやりとした視界がさらに曖昧になった。そんなことおかまいなしに、清矢は駆けた。
そのとき、亜希はその崖から空へと飛び出していった―――。


 「……??」
亜希は宙に浮いていた。右手を誰かにしっかりと握りしめられて。亜希が上を向くと、そこには、眼鏡を外して微笑んでいる清矢の顔があった。
 「…なんで?」
亜希が明らかに、嫌悪の表情で訊いた。
「すぐ戻ってくるって言ったのに、なかなか戻ってこないから、呼びに来ました。」
清矢は冗談まじりに言った。雨はもう上がって、うっすらと青空が見える。
「それで見つけたはいいけど貴女、突然足すべらして。ビックリしましたよ、ホントに。」
そう言うと清矢は亜希を、地面に引っ張り上げた。突然亜希が訊いた。かなり怒っている。
 「なんで助けたりなんかしたのよ?」
 「反射神経でしょうか? 目の前で人が落ちたらとっさになりますって。」
清矢はとっさに嘘をついた。
 「…ふざけないでよ。」
亜希は本当に怒り心頭だ。しかし清矢は平然とこう言ってのける。
 「あの、その言葉、そのまま貴女にお返しします。」
 「は!? 何言って…。」
 「貴女に死なれてしまうのは、非常に困るんですよね。俺としては。」
刹那。

バチン。

清矢の左のほおには、真っ赤な手のひらのあとがあった。亜希は清矢の態度に我慢ができなかったのだ。
 「ふざけないでよ! 結局あなたもみんなと一緒じゃない! あれだけのことをしておいて、まだ足りないわけ!? もう充分でしょ? どうして大人しく死なせてくれないの!!」
亜希はとうとう、泣き出してしまった。
 「なんで…。なんでよ…。」
その時、清矢は泣き崩れる亜希を優しく抱き締めた。
 「…は?…ちょっと何やってるのよ。」
亜希はかなり困惑した表情だ。清矢は微笑んでこう言った。
 「だ・か・ら。キミが死んじゃうと、俺が困るんだよ。と言うより、生きてる理由無くなっちゃって、ヘタしたら俺も死んじゃうかも。」
 「…何言ってるの?」
 「どんな人だってそうだよ。初恋の人が自殺するなんて、フツー許せるかい?」
 「…え?」
 「普通の勉強と違って、自分の気持ちを伝えるのはやっぱ苦手だわ、俺…。」
 「…ちょ、ちょっと…?」
 「つまりこういうことだよ。『一条清矢は藤波亜希を愛しています。』ってこと。」
 「…!!」
亜希の顔がみるみる赤くなっていった。まずい、怒らせたかな。と思った清矢は、あわててつけ加えた。
 「あ、言っとくけど、これ冗談じゃ、ないからね。そこんとこ、ヨロシク。」
すると亜希はクスリ、と笑った。
 「ふざけてるの?」
 「こっちが素なの。」
そして、二人は、みんながいる屋敷へと戻っていった。

かくして、二日にわたる「夏休みの宿題を終わらせよう勉強会」は終わった。正直、ホントに終わった人間はたぶんゼロだろう。宿題に全く手をつけなかった人間もいるはずだ。目的に対する結果だけから考えれば、この会は見事に大失敗だと思う。しかし、清矢にとって、二人の出会いのきっかけができたこの二日間は、大成功であった。

二学期。人の恋愛の噂というものはここまで速く伝達するのか、と言わんばかりに清矢と亜希は注目の的になった。清矢には普通の会話をしてくれる人が増え、亜希には友人と言える人ができた。清矢は一日に何度もそのことについて訊かれる羽目になり、亜希にも様々な質問がされるようになった。偶然にも二人の悩みは、このことで同時に解消されることになった。
 「ヨオーヨオー! そこの時の人!」
一平が手を振って駆け寄ってきたとき、清矢はまた亜希とのことについて話していた。
 「時の人って…、またすごい言葉使うね。」
 「ハハハ…。なあおい、ずるいじゃないの、俺があんなこと話した次の日にくっついちゃうなんてさぁ。」
 「悪いね。こっちはこっちで大変だったんだからさ。」
 「何が『大変』だよ。あーあ、藤波のこと、俺も狙ってたのになぁ…。」
 「は? マジかよ。」
 「冗談だよ。」
一平が笑った。
「さて、今日俺、補習あるんだ。落とすとダブるかも知れないんだが。」
 「ダブり? …ダサ。」
 「おい、ダサいとは何だ…、そんなことだから、またお前には付き合ってもらうぞ。」
 「わかったよ。お前にダブられても困るしな。」
そう言って清矢は、一平のクラスへ向かっていった。
Fin